自然とは
意味
おおまかに考えた場合、自然とは人間の意志や知性の関わらないもの、と取れる。
たとえばこの世のものは人間の営みでは作られない。それは神かも知れないし天かも知れないが、いずれにせよ、人智を越えたものである。だからこれを自然という。この場合、人間もその一部として含めざるを得ないであろう。
自然科学の自然はこれに当たる。さらに、自然現象ではあり得ないのに、人為的なものでもない現象があるとすれば、それらを越える何かを仮定せざるを得ない。それが超自然である。
人間はそのような世界を作り替える能力があり、しかも本来の形を規則的な、そのままではあり得ない姿に変えることができる。これを人の意志によるものと考えた場合、それが触れられていない物を自然と呼ぶ。自然保護という場合の自然はこれであろう。
また、我々の体は自然かも知れないが、それを動かしているのは意志や知性である。したがってそれに操作されるものを自然とは見なしがたい。しかしながら、思わず体が動いてしまう瞬間というものがある。
そういう場合、それを自然な動きというような言い方で表す場合もある。また、他者の意志が関わったものは不自然である。たとえば星一徹に幼少時から野球だけを仕込まれた星飛雄馬は「不自然な成長」の仕方をしたと言っていいだろう。
幾何学的なヴェルサイユ宮殿の庭園
一つの傾向として、西洋では自然と人間を完全に分離した考えを持つが、日本では人間は自然の一部と考える。西洋では人の知性は基本的に良きものであり、それによる判断に沿わない自然のあり方は、この判断に立つ限り悪である。たとえば幾何学図形は美しいが、自然界にはそれは見られない。
だから人間の能力で幾何学的に自然物を並べて見せたのが西洋風の庭園である。東洋では往々に人間の知性をこざかしいものと見て、天の采配に逆らわない方がよいとの判断がある。したがってその庭園は自然界の美をできるだけ取り込み、左右不対象、あるいは対象性を少しずらせた配置を基本とする。
自然と管理
自然のままの、つまり人工的な手が入っていない場所では思わぬ危険が多い。スキー場のゲレンデの外へ出る部分や、山や沢のルートで整備域の外へ出る部分に「立入禁止」の掲示があることが多いが、「禁止」などと「おせっかい」で「かまってくれる」表示ではなく、「ここから先は誰も知らない」という旨の表現でいいのではないか、はよくいわれる議論である。
助けを求めることが出来るなら、救助は来るかもしれないが、“自然”の地へ入っていくときにはよく心がけたい。
要するに、自然な環境へ人工的に手を入れる目的の一つに、人間の安全の確保がある。特に日本では客が入る可能性のある場所での事故があった場合、その地域の管理責任者が責任を問われることが多く、それを避けるために過剰な手入れが行われる傾向がある。上記の事例はその結果と言える。
自然主義
人間や社会よりも自然に優位を置く考え方を一般に自然主義という。現代では環境なしには人類の存続すら危ぶむまれることが現実の社会問題などにもなっており、いわゆるエコロジーなどの環境思想は各国政府の基本課題ともなっている。
※参照wikipedia